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フランスからの贈り物 [PBP]

請求書や支払い明細書以外の,郵便物や宅配便が届いてると ”何かな?”感でわくわくしませんか?

帰宅したら”フランス”から、素晴らしいものが届いていました!

じゃ~ん!!
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公式リザルトBook、DVD、ブルベカード、メダルの4点

メダルが でか~っ! おまけにタイムが刻んであります、”88h57” ま、自慢できるタイムじゃないですけど。
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勿論このメダルは、世界に一つなんだけど、思い出的には”ブルベカード”(右の黄色いやつ)の方が思い入れがあります。

いつも競技中は、命の次に自転車と同じくらい大切。これに全てのチェックポイント通過時間がチェックしてあります。

勿論、紛失なんかしたら、即 失格!

・・・・散々雨に降られながらも絶対に濡らすまい、落とすまい・・・・

と、首からぶら下げてフランスを1200km走った思い出の品。

ちょっと(かなりかな?)”ウルウル”[もうやだ~(悲しい顔)]もんです。

他は、リザルトの日本チームの集合写真は、端っこにいた為カットされてるし・・・

その模様を写したDVDもフレームアウトしてるし・・・・

ちょっと欲求不満気味でもありましたが、久々によみがえった記憶を楽しめましたよ。






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PBPの思い出再び [PBP]

11月18日のRC Nagoya 走行会でKawaseさんに無理にお願いしてたCDが届きました。

これはPBPでKawaseさんが写した数千枚の写真の中から私の為にセレクトしてくれたものですが、何と!CDで4枚も!!

こんな事とはまったく知らずにのんきに待ってたのが恥ずかしかったです・・・。

そのCDをじっくり拝見させてもらって、今又、昨日のことのように思い出しました。

「上手に撮ってあるわ~、やっぱり一眼レフはいいなあ・・・、こんな所撮りたかったんさー、」

などと、ぶつぶつ言いながら楽しめました。

Kawaseさんは習字の先生の資格を持って見えるらしく、そのフランスでも道中でお世話になったBARなどで記念にスラスラ~書いてプレゼントされてました。

プリンの写真もありがとうです。(これがきっかけで動く犬を撮るにはやっぱり一眼レフ欲しいー!)


おら東京行ったど~!その1 [PBP]

23年ぶりかな~、久しぶりに東京に出かけました。

「PBPの感動をみんなでもう一度」と言うことで東京都豊島区目白にある学習院大学目指して10/6の朝、8:20の近鉄急行に乗車、名古屋駅から新幹線のぞみで品川までノンストップ、山手線に乗り換えて外回り(ですよね?)で目白に11:54着。
いや~、新幹線は早かった。中学の修学旅行以来ですがその間にかなり進歩してたんですね。当然ですが生まれて初めて自分で切符買いました、自由席だといつでも乗れるんですか~!
軽くお昼を済ませてチョコト目白散歩して13:30からの「PBPお茶会」に出席しました。

実は「何故に東京まで?」と言うことですが、PBPでお世話になった S木さん に会えるか、もしくは連絡方法を見つけられる可能性があるんじゃないか?と思ったからです。フランスでちゃんとしたお礼や連絡方法を聞かずに別れてしまったので今までずっと恩返しできずに悶々としてました。なんてったって完走の恩人ですから!!
残念ながらS木さんは出席されてませんでしたが、何とか連絡が出来る手配のめどが立ちやれやれ、来た甲斐がありましたよ。S山さん(女性です&PBP完走されてます)がこの会を企画、運営してくださったおかげです、ホンマニありがとさんです。
今回日本チームは「遠距離賞」なるものを頂きました
これがそのトロフィーです

会は時間どうりに5時に終了(もっと時間がほしかったです)、ここからは東京見物することにしました。
まず原宿で降りて表参道をぶらぶら、凄い人ごみです!高級そうな店が沢山あるんですが私には必要ないし・・・・。
青山通りに出て渋谷駅までぶらぶら、渋谷駅と言えば”忠犬ハチ公”!コレマタ凄い人で「どこやね~ん!ハチ公!」 やっと見つけました。
ハチ公もこんな人込みじゃ主人を見つけられんよ!

結構歩いて疲れたので今日はここまでにします。ホテルが日本橋だったんで(前日でここしか捜せなかった)ぐるっと電車に乗って21:00に到着。いや~ 以前に都会の人ほど1日の歩行距離が多いことが新聞に載ってましたがホントですねー、体感しました。

明日もう一日東京見物して帰る予定です。


パリ観光(25日、土曜日) [PBP]

フランス入りしてから早8日目です。

ホテルでの朝食でみんなが揃って やはりダンゴ虫さんは帰ってこなかったのが解りました。このとき私は「間違いなく病院に担ぎ込まれてる、それしかない!」としか思えませんでした、4年前のPBPでも日本人の方が一時的に入院してたことを知ってたから。じゃあ何処か?まったく調べようも無く異国でのトラブル処理の難しさを知りました。しかし 何時までもほっておくことは出来ないのでK瀬さんとご家族の判断で警察に連絡する段取りをお任せしました。 

帰ってこれないダンゴ虫さんやご家族、K瀬さんたちには申し訳ないんですが、手違いでAJ会長のホテルに届いてしまった私とダンゴ虫さんのドロップバッグをエッフェル塔近くまで取りに行きがてら、パリ市内の観光とお土産を買いに出動しました。

メトロ(地下鉄)は何処まで言っても1.5€でぶっ飛ばしてくれます
ジャズ団6組が時間限定でゲリラ的に列車内で生演奏してくれ 偶然であいチョ~感動しました

これが本当のフレンチブルドック?

お昼ご飯はオペラ座近くに日本食レストランが結構あって「すし屋」に挑戦、ご飯がイマイチべしゃべしゃで日本で言えば回転寿司の”下”レベルか?他のメンバーはラーメン屋に行ったらしく「オペララーメン」はフランスでラーメン食べるには美味しかったそうです。

オペラ座近くのペットショップ、犬にお土産を と思ったんですが首周り25cm以下の物が無くて買わずじまい

エッフェル塔近くのホテルに荷物を頂に来ました

結局お土産は殆んど買えず(よく見るとmade in chinaなんてのが沢山ある)バッグ2個持って日暮れと共にホテルに帰りました。
で、肝心のダンゴ虫さんは音沙汰なし・・・。どうしたもんですかねえ?
明日は帰国日なんですが・・・。

と 思ってる間に実は連絡があってドリューの病院に入院してることが判明。奥さんとK瀬さんで向かってたらしいんです。やれやれ、良かった。





ゴール後 [PBP]

ゴールでS木さんとタイムチェックを済ませたあとに完走の恩人のイギリス人を体育館内で捜しましたがやっぱり判らず おまけにS木さんの連絡先も聞かぬままバラバラになってしまいました。その後愛知組の仲間を見つけて情報収集、80時間組みのO澤さん(女性です)、K井さん、90時間組みのT中さん、T谷さん、そして私の5人、ダンゴ虫さんがまだでS井さんはゴールしたとか、残念なことにあと4人はリタイアしたそうです。そんな間にとうとう90時間が過ぎてしまいました。
私より先にいたはずのダンゴ虫さんを暫く待っても、皆で思案するもどうしようもなく 既に一度ホテルで着替えたO澤さんに後お任せして コントロールにあるシャワーで簡単に体を流してから90時間の3人で遅い昼飯を兼ねて隣の食堂で祝杯を挙げました。
首の痛みで気づかなかったけど3度転倒したたびに打った右膝が腫れあがっててかなり痛みがあり ホテルに戻る手段で階段の多いメトロ(地下鉄)はパスして単独タクシーで帰ることにしました。

日が暮れてもダンゴ虫さんは帰ってこず段々事件を予感させる雰囲気が漂い始めてました。こんな時PBPは酷で「自己責任のもとに出場」してるので安否がわからず、携帯電話も繋がらず”ただ待つのみ”的状況だったんです。まさかこうなるとは・・・・・。「2年前に出会ってからPBP目指してここまで2人で走ってきたのにまさかこんな結末になるとは・・・・・」

夜になって皆がホテルに帰ってからK瀬さんが完走記念に夕食をおごってくれました、前菜にエスカルゴを頼んだんですが(エスカルゴって前菜やったんや~!)美味しかったですよ。
ホテル前のレストラン、バー、サンドイッチ屋など

デンデンむしむしです

2個も食べてから撮んなっちゅーの!

ゴールしてからは飲み物はアルコールばかりで、深夜に目が覚めたらGパンを膝まで下ろしてベッドでTの字状態でした。(たぶん足がむくんで脱げなかったんだろなぁ~)

帰ってきてくれ!ダンゴ虫!!!!!!!!!


24日(金)5日目ゴール [PBP]

首が痛いと思ってからでは”時既に遅し”と言う学習をしました。もっとも”膝が痛いと思ってからでは時既に遅し”と殆ど違いないことに応用能力が無いことも学びました。
モルターニュ・オ・ぺルシェまでは82Km、町を抜けてすぐ真っ暗な分かれ道で仲間を待ちミスコースを防止、4度目の夜は疲れと寝不足で正常な判断がすぐに出来ないほどの体になってました。皆にくっつて行きたいんですが道路がよく見えません、道幅が広いのか狭いのかすら判らない、センターラインが線なのか段差なのか?そして路面の模様が立体に見えるようになる、何度もブレーキをかけてハンドルきって避けるんですが何も無い、幻覚を見るようになってました。おまけに首が痛くて上がらなくてしたばっか見てるんでかなり危険です、こんな時は”寝る”か”目を覚ます”のどっちかなんだけどわたしは”そのまま走る”けちな手段を選びます。(寝るのは一番勇気がいる)
ふらふら走ってると[左折ル・マン]の看板、「ありゃ!行きにも左折ル・マン見たぞ~?」ということは往復別ルートなのか?事前にルートをよく調べてないからこんなことにもなるわなぁ。看板の下で記念に(何の?)お●っこして出発、マーキングですな!(犬か!)

暫くして皆がバーで休憩するので自分も仲間に入ってコーラを飲む

バーの周りに寝れそうな所を捜したがちょっとした場所も先客有りでやむなく出発した、座れる場所さえあれば寝れるのに・・・。ここでちょっとヒラメクことが!サドルバッグがあふれた時の為にフック付のゴムバンドを持ってきてた、その片方をウエストバッグの背中側に、もう一方をヘルメット後部に引っ掛ければ首が持ち上がるんでは?真っ暗闇で背中に手が廻りにくくて近くにいる人にお願いしたらその方は日本人であの長距離の女王、M田さんでもう一方は同じく関西のM黒さんでした。(PBPでもダブルMコンビなんてすばらしいです)M黒さんに「いいアイデアですねー」なんて褒められましたが首が痛い時点でアウトな発想ですよ。二人は暫く休まれるそうでお先に出発させていただきました。

この夜が一番分けわからん場所を走ってるように思った、ジェットコースターの様に下ったり山の周りをぐるぐる廻って上ったりフランスの夜道に翻弄されてました。(途中で初めて遠くに夜景が見えたのを覚えてます)後ろからなんか気配がするので見るとそれはなんとダンゴ虫さんで「え~!!」とお互いビックリ仰天、何でこんなによく会うのか?離れても必ず又合流するとは流石にブルベの相方です。
二人でそろって居眠りしながらなんで「こっちによって来るな~!ぶつかる~」だの目覚まし代わりの罵声が飛び交ってるうちに到着、かなり貯金を使っちゃって4:20です(ひえ~+1時間10分しかない!)

カードにチェックしてもらった後コントロールの入り口の椅子にすわったとたんに寝てしまいました、気づいたら5:00過ぎてて慌てて出発の用意です。すると又ダンゴ虫さんが現れて「4€仮眠所で1時間寝たー!、時間ギリギリだからすぐ出発」と言ってすたこら行ってしまいました。

最後のコントロール ドリューまで74Km更にゴールまでは69Km 残り143Kmです。実はコントロールのタイムアウト時間は21:30スタートを基準に計算されてます、私は3組目で1時間遅れの22:30スタートなのでその後の時間に対してすべて+1時間することが正しいんですがこれは自分だけの中の最後の最後の貯金として常に無いものと思いここまで進んできました。が しかしここにきてその貯金に手をつけそうな・・・・・・。

予想外の居眠りでモルターニュ・オ・ぺルシェを出たのはタイムアウト時間を過ぎてました、かなりのプレッシャーを感じながらまだ夜があけきらぬコースを進みます、この時点でノートラブルで実力通りに走れば完走できることを確信してましたがPBPは甘く無かったです。
首の痛みがゴールまで持つのかが最大のポイントなのでここは一つ確実さを増す為にハンドルを上に上げることにしました(ステムを裏返すと30mm位上がるんです)。かなり悩みましたが(タダでさえ時間が無いのに)「ここは勝負に出るところ」と決意 貯金はたいて緊急手術、20分ほどかかりましたが納得のできばえでした。
「よっしゃ~!出発!!」意気込んで走り始めたらフロントタイヤがなんか重い????
「これってもしかしてエアー圧が低いかも?」と触ると ”ぺこぺこ”じゃ~ん! パンクじゃ~ン!! 「全てに見放される感」体験をどっぷり経験します。
とにかくチューブ交換、気が動転してるのを必死に抑えつつ しかし早く しかし確実にと相反する要素が頭の中で押したり引いたり、一番大事なのはこの修理を1発でかたずけること、再修理はタイムアウトを意味します。幸い夜が明けてたので修理もスムーズに済みました、PBP用に用意したエアーポンプも想定外の活躍です。スペアチューブは1個だけしかないのでこれで手持ちなし、お願いだから「エアー減らないで~」と願いながら進みました。ブルベ初のパンクがフランスでなんて・・・・。(後でわかったんですがフロントタイヤは柔らかめのタイヤにしてた為あちこち切れてた)
その後コースは思わぬ激坂でベルを鳴らして応援してくれるおじさんがいたり 皆ギリギリ時間なのにコース脇でお●っこしてる選手をオフィシャルが厳しく取り締まってたり(正式にはルール違反です)テールエンドの実態を知ってしまった。そしてドリューには11:24着(タイムアウトは10:40 つまりとうとう最後の貯金1時間に突入した)でもちろんチェック即出発!ハンガーノックを恐れてありったけの補給食をとりました。

いよいよ残すはゴールまで、69Kmもってくれ~!(首、膝、タイヤ)
と これだけ願ってもダメなことはあるもんで、もうまったく首がだめでせっかくハンドルを上げた効果はゴールまで持ちませんでした。引っ張ると圧迫されるのでどんな状態にしても痛くて我慢できない状態まで来てしまいました。下しか見えないのでスピードが出せず、痛いので10分おきぐらいに休憩する始末、心の中で「諦める」気持ちがどんどん大きくなって、
・・・こんなに頑張ったんやからもうええか・・・・
・・・いやいや、会社やすませてもらってフランスまで来てるのに・・・・
・・・間に合わなかったって皆にどう説明しよう・・・・
・・・自転車で1200Kmってムリよな~・・・・
頭の中は言い訳でイッパイ、そんな時後ろから「ハロ~」の声がしてあのよく一緒に走ったイギリス人が現れました。頭の中はどんでん返しの急展開!
「首が痛くて上がらない、お願いだけど私の前でナビゲートしてくれないか?」(ナントカ英語で)
断られてもともとで滅茶苦茶なお願いをすると
「OK!OK!」後ろについて来いと合図してくれた。
「サンキュー、サンキュー」と激感動、嬉しくて泣けました(今思い出してもね)。
街中では障害物からちゃんと避けさせてくれて私のペースで前を引いてもらったのです。
30Kmほどすると「そこに日本人がいるよ、彼に頼んでみては?」と言われここでお別れしました。別れ際にちゃんと礼も言わず名前も聞き忘れたのを今でも悔やんでます。

その日本人は関東のS木さんという方で初対面です、一通り事情を説明するとこれまた快く(と勝手に思った)引き受けてくれてレッツゴーです。途中で一度こけましたが流石に日本人なので細かく励ましてくれて安心できました。

一番感動的なゴールの光景をうつむいたままでS木さんに「ゴール着きましたよ~」って教えてもらって けどやっぱり感動ものでした。

やったよ~!!!!!!!!!!!!!!

89時間29分 危なかったです!

これまでお世話になった皆さん、ほんとうにありがとう 







23日(木)4日目 [PBP]

仮眠所で起こされて荷物をまとめてたら「ない!無いよ~・・・」寝る前にベット脇においた荷物のうち反射タスキとグローブが無かった、「もしやドロップバッグのほうに忘れたか?」と思い又引返す。結局無かった。グローブはスペアがあるからいいが反射タスキは予備など無い、けどどうすることも出来んのでやむなくスタートすることにする。おそらく隣のベットの人が間違えて持っていったと思う、マットレスで下に置けず横に並べてたんで隣とゴチャゴチャでやばいな~とは思っていた。

暖まってた体を冷たい夜の雨にさらすのはうんざりしたけど前に進むにはそれしかない、「行くしかない」と自分に言い聞かせて出発(4時30分)。精神的に下降線みたいです、いったい今日は何日目なのかすぐに浮かばないのもそのせいか?頭の中がごちゃごちゃナンダナ(いつもか!)
タンテニアック(860Km)まで85Km、行きに夜だとルートの記憶が殆んど無い そこを又夜走ると何処なんだか方向、距離感がまったく分からずとてもツマランです、タダひたすら明るくなるまで我慢して漕ぎ続けた。

先を急ぐ皆さん(私は余裕もないのに・・・・)

夜明け前にあちこちの家に明りがともり朝食の準備なんかがされてるんでしょうか?フッといい匂いがすると一日の始まりを異国でも感じとることが出来ます。小さな町のはずれで公衆トイレを発見したのでトイレついでに昨日買っておいた股間ずれ用の軟膏を体とレーパンに塗りました。(薬局で昨日こけて擦りむいた所を見せ出してもらった軟膏)かなり擦れててヒリヒリで600Km以上走ったことの無い私には未体験ゾーンです。なんとかこれで治まってほしいので更にシートをチョイ前下がりにセッティングして出発。

余裕無いのにちゃっかり町の様子は記録してます

田舎でもおしゃれに花が飾ってあるのがフレンチ、シャイなお父さんと。

タンテニアック(860Km)⇒フジュール(916Km)と特別にドラマチックでもないので記憶が残ってません、ただ流石に皆さん眠いらしく道路脇でコロガッテル方が目立ってきました。そう言う私も雨の中カッパを着て20分ほど寝込んでしまいました。
ここまでコンスタントにタイムアウト時間に+3時間をキープしてます、このままでいけそうな気配だったんですが昼過ぎから「な~んか首痛いな~??」と言う気が段々エスカレートしてきて夕方には「かなり痛い!」「こりゃマズイゾ~」と なり薬局を見つけて緊急ピットインです。ここは仏会話本に頼って「筋肉痛の塗り薬をください」と教科書道理に(あたりまえか!)お願して無事ゲット、店内では他に首のコルセットを買ってる外人もいて「な~んや、みんなそ~なんか~」と妙に納得、早速塗り塗りして出発。(この辺りの町はおじさん、おばさんが沿道でラッパを吹いて応援してくれたりして嬉しかったな~。)
やや遅れ気味でビレイン・ラ・ジェルのコントロールまでの軽い補給が必要になり近くのスーパーマーケットでパンとジュースを買い店の前に座り込んで食べた(日本のコンビニでよくやったな~、仏でもかよ~)
暫くして後ろから久々にダンゴ虫さんが来た、前にいるものと思ってたからビックリ そしてS山さんとも合流して3人で到着。

ビレイン・ラ・ジェルのコントロール、結構派手に盛り上がってました

ビレイン・ラ・ジェルには20:42分着でした、ここで私だけ問題を抱えていたのでダンゴ虫さんとはぐれてしまいました。それはあのルディアックでなくした反射タスキです、なぜならコントロールを出発する際にオフィシャルがフロントライト、テールライト、反射グッズのチェックをしてから”OK行ってよし!”ってなるんですから無くちゃ出発させてもらえんです。タイムチェックして直ぐに出走チェックしてるオフィシャルのもとに行き「アイム ロスト リフレクティングベスト カッパノ ウシロノ リフレクタージャ ダメーカー?」(ホントハチャンといいましたよ!)と聞くと渋々に「OK!」なる返事をもらった。「あんた今OKユッタもんね!」と安心してちょっと離れた食堂で夕食を食べた、S山さん、ダンゴ虫さんのどちらにも会わずに出発することになる。
出発時にそのオフィシャルに無理を言った礼を言うと会場のアナウンサーが”こっちに来い”と合図する、すると懐から本物の”リフレクティングベスト”を取り出して「君にプレゼントだ!」とくれた。「サンキュー、メルシー、ありがとう!」×3 で感動を伝える、インタビューされ「君は何処から来たんだい?」⇒「ジャポーン」ひゅーひゅー  「この日本人の幸運を祈ってくれ!」ひゅーひゅー 大観衆にヤンヤ手を振りながらの出発でした。(参加者を支えてくれるのもPBPの魅力です、そしてこのエンターティナー性も。)
・・・・・・・・かんどーした(ほんまにプライスレス)・・・・・・・・・

そろそろ日付が変わりそうですが「首がいた~い」んです、自力では上に上がらんです。どうすりゃいいんだ!

<続く>



22日(水)3日目ブレスト~ルディアック [PBP]

ブレストの食堂で「日本人は君が初めてだ!」と言われたんだけどそうでないことは自分が良く判ってました。しかし90時間組みでこの時点では実はそんなに遅くなかったんです。(ココからさらに遅さに磨きがかかりました)
ブレストに咲く紫陽花、日本にない花の色です

ブレストのコントロール

コントロールの食堂で大体こんな物食べてました、右上はポタージュスープでカレーじゃありません。何故かカレーが食べたかったな~・・・・

先ずは朝出たばかりのカレ・プルーゲに向けて出発、699Km
ブレストからUターンして暫くは別ルートです、よって2時間ほどしてから行きのルートに合流するのですがそこでまだブレストに向かう選手にすれ違います、「まさか日本人いないよな~・・・」なぜならもうタイムアウト時間だからです。結局すれ違わずに「ホッ」とできました。
PBP一番のアップダウンでは調子に乗って極端な低姿勢になって最高速チャレンジを何度もやっちゃいました、これって首の筋肉負担がでかいからあんまりよくないんだよね~。(案の定完走を逃すほどの惨事に)

教会はどこもすばらしく歴史を感じました、どの町にも必ずあってしかも色んな形なんで教会めぐりしてしまいます

いやと言うほど石畳

カレまではトラブルもなく天気はPBP中で一番の”うす曇”だったのであっさりすんなり19:37に到着(+4時間)、ここでY口さん(松坂出身で現東京人)に合いました、自分より経験や走力のある人に会うと心の底から「ほっ」としている自分が面白かったな~。
夕食を済ませて出発しようとすると土砂降りになりました、「も~我慢の限界、どばっといっちゃうからねー!」テナ感じで降ってます。悪天候ももはや慣れっこ?でナイトランに向けて出発!「帰りはユックリと町の写真でも撮りながら90時間イッパイ使って帰っちゃお~」と言うことがお預けになりました、雨降りだとカメラの取り扱いに時間がかかりすぎるんです。(それを”めんどく”さいと言う)
21:00ぐらいだとこれぐらい明るい

とにかくよく雨が降ってたのとフランスの田舎の夜はとーても暗い(真っ暗でライト2個じゃ殆んど前がみえんです、こんな暗いのを今まで経験したことなし!くどいようですが本当に暗い)、「何で皆(外人)はこんな暗い所の下り坂をすっ飛ばしていけるのか?」以前に「ルマン24h」なる自動車レースで「青目の外人は夜が良く見える」らしいことを元F1ドライバー片山右京さんが言ってましたがそうとしか説明できません。
ライダーがかなりまばらになりひとりで自信の無い分かれ道に差し掛かると後からの人を待ちますが一度大きくミスコースしました。土砂降りでGPSが良く見えなかったのと一人だったのと案内の”⇒”を見落としてどんどんとあらぬ方向に坂を上っていきました、やがて十字路にさしかかったときに何処にも”⇒”が無いので「おかしい!これはおかしいぞ!ミスコースや!さあどーする? (1)ほんとにミスコースかこの場で誰かくるまで待つ (2)GPSはこのまま別ルートでコースに復帰できるルートを示してるのでそちらに賭ける (3)単純明快!引返す」
知らない国で雨に打たれて真っ暗な山中にいれば誰でも人恋しくなります、引返してとにかく誰かに会いたかった、ただそれだけでした。しかし誰にも会わずに復帰、心細かったな~。この頃からときどき日本人で関東のS山さんという方と着いたり離れたりしてたのが唯一お楽しみでした。

復帰してから暫く行くとルディアックに到着、既に23日(木)の1:15でした。(+4時間15分)
コントロールでチェックと食事を済ませたらドロップバッグのあるバスまでS山さんを案内するつもりが2度も道に迷いご迷惑かけました。土砂降りで行きの様に外で着替えることが出来ず既に満員だったのでやむなく着替えを諦めて4ユーロ仮眠所に向かいました、悩んでやっぱり1時間の仮眠(4:00に起きる)とする。仮眠所は今回マットレスタイプでした、しかし折からの土砂降りで皆濡れたまま寝るので毛布までがジトーと湿ってて最悪でしたがすぐに「グースカ」と。

せめて3時間くらい寝たかったですなー。

<続く>


22日(水)3日目 ルディアック~ブレスト [PBP]

600Km往復ルートを3等分すると丁度400km地点は重なります、そんな便利さから約400km地点のルディアックはサポートする側もされる方も大切なポイントになります。
私たち日本チームもここにサポート体制を敷いてあります、「ドロップバッグ」と言って着替えや補給食、スペアパーツなどが個人別に搬送されているほか仮眠できるトレーラー付きバスなどです。

そのルディアックに着いたのは22日の0:03分でした、もちろん予定よりも大幅遅れは言うまでもなくタイムアウトまで4時間30分、この状況で何をしてどれを我慢するか取捨選択します。
 食事・・・・・・・しっかり食べました(米がまずい)
 シャワー・・・・メッチャ並んでて(外まで列が・・・)諦める、帰りにしょ。
 トイレ・・・・・・便秘気味でユックリしたかったんだけど便座のないトイレしかなくて
          あまりの汚さに諦めた(ほんとに汚い)
 着替え・・・・・雨上がりの深夜屋外で震えながらなんとかOK
 仮眠・・・・・・・バスはすでにイッパイで(遅いから)いい場所がなかったので諦めて
          ルディアックの4ユーロ仮眠所にお世話になった

サポートバスで全てを済ませてからコントロール横にある仮眠所へ向かうことにします。
 (日本から持ってきた、水で戻すあんこ餅を楽しみにしてたんだけどまずかった、水が硬水だからか?)
なんだかんだで既に3時、4じには出発したかったので仮眠所の受付で「4時に起こして」と頼みます。真っ暗な体育館?のような所に一面のベッド、ベッドといってもハンモックに近い感じで毛布が一枚です。「本当にこんなに沢山の人の寝起きをコントロールできているのか?」「もしミスられたらおしまいやな!」不安だったんですがあっという間に寝ちゃって気がつけば「ムッシュ~、ムッシュ~!」と体を揺すられてました。

たった1時間やけどすっきり、いよいよ今日はブレストを折り返します。

ルディアックを出発していく。段々まばらになってゆきます。

相変わらず雨は降ったりやんだりを繰り返して、夜は防水袋に入れたGPSの画面が反射して走りながら見ることがほぼ不可能だったりします。ルート案内の”⇒”だけが頼りなんだけどこれが見難いんだな~!
コースがいっきに下りだすポイントで50人ほどの選手が道をふさいで止まってました、「なになに!みすてーく?」と言ってもやっぱり誰も答えてくれず状況が把握できません。けど皆でキューシートや地図を見ながら「アーダコーダ」言ってるのでどうもルートに自信ないような感じ、私のGPSはそのまま合ってたので「OKだよー!」と言うが早いか皆行っちゃってびりケツでした。(なんやねん!止めといて)

ブレストの前にカレ・プルーゲ(525Km)をめざします。ルディアックから76Kmですが50Kmほど行った所でシークレットポイントになりました、これはショートカットしやすいところに作られた内緒のコントロールポイントです。
当然ですがチェックしてもらいました、ココで雑魚寝してる人もいてルディアックより快適そうで「これが分からんから難しいんだな~」と変に納得しながらも即出発!
コースは今回唯一の幹線路を行きます、この辺りからうまい塩梅に引いてくれる人が見つかりさらに乗り継ぐことができたりして一番効率よく走れたところでした。やがて旧道にそれてから次なる列車にくっ付いたらそれは日本人でじんじんさんでした、「おはよ~っす!」(このころ既に明るかった)あいさつもそこそこでくっ付いちゃってます。

カレ・プルーゲは普段は学校ですか?

3人でカレ・プルーゲに到着(え~ともうひと方は・・・・・?)、朝食です。食堂で「ブレックファースト」コーナーが専用であるとのことでそちらにしたらじんじんさんとはぐれてしまいました、これまでで食事はほとんどが私一人だけでこれが以外に楽しかったりします。日本人数人でいるよりは外国人が話しかけやすいらしくコミュニケーションがとれます、他にフランスパンの食べ方なんか教えてもらったりとか俗に「旅は一人が一番」と言われる所以が解った様な・・・(けど英語は殆んど喋れませんよ!)。

食堂で結構並んだので慌てて出発です、けどじんじんさんのバイクがまだあったんだけど無言でお別れしました 。
いよいよ次はブレスト!(614Km)、幸い夜が明けてからは今回一番の晴れ間が見えたりしてます。「このままずっと晴れてくれ~!」と皆が願ったはず・・・・・・・・ですが・・・・・。
距離は86Kmです、事前情報はアップダウンが一番きついらしいです。

暫く走ると20台ほどの国際大集団発見!ここに混ぜてもらうことにしましたがどうもクラブラン状態でリーダー格のイギリス人(と思う)が私に色々アドバイスしてくれました。おかげで暫く先頭を引かしてもらったりしてPBPでの一番の”楽しい”思い出です、ビックリしたのは「自分って英会話がこんなに出きるンャ~!」と思えたこと、まあよく考えたら自転車の共通した話題なんやから当たり前か。
PBPで最標高地点までやってきました、けどせいぜい500mほどらしいですが高原のようです。きついと言われた坂もそれほどでなくこのまま膝がもってくれる事を願いつつ今度は長い下りを行くんですが路面が粗くて下りだと言うのにスピードが乗らず漕ぐ始末です。(途中80時間組みのK井さんとすれ違いました、O澤さんはどの辺なんか気になります)

視界が開けたら遂に海が見えました、スピードに乗ってるんで帰りに写真でもと考えたらそこは通らずであんないい景色を・・・・。
海を渡るアーチ状の橋で一枚!ゆ、ゆびが~!(残念)

あれに見えるがスペインだよ、とスペイン人が教えてくれました。

ブレストは街です、色んな店や新興住宅地があちこちにあります。気になったのは「庭付き一戸建て」で建屋が狭くて即増築を要求されそうなところが結構な値段だったりして、「世界は狭いな~」と思わざるを得ませんでした。後やっぱり農地が宅地になってるところが多くて「後継ぎ問題」も世界的な課題なんですな!

そしてとうとうブレストに到着です。(8/22 13:39)
「カンド~しました!」
カレ・プルーゲから89Kmを5時間、「まあ確かに遅いけどそれ以前よりはましか」
それと614Km走って膝に問題ないのは初めてですよ、この時点でもうゴールしたような気分になってたような気がしてました。(みんなそうだったらしい )得意の「もう貰ったも同然!」宣言も出たりして「”バカであさはか”な人生をこんな風に繰り返してきてるンや~」と今さらあきれます。

さあメシ、メシここはどんなもん食べれるかな~

<まだ続く>
         
 


21日(火)2日目 [PBP]

前回の「スタート」から日が空いたのは記憶が確かじゃなくてGPSのログを見てからと思ったら行きのブレストまでが残ってませんでした????で、脳みそに有る物を総動員して文にします。

ブルベを走るときはいつもテーマ(大げさですけど)があるですな。
今回は 
 未体験の(600Km以上)を慎重に行く!
  ・自分のペースを貫く(のは)
  ・膝をいたわる(為に)
  ・やっぱり立ち漕ぎ禁止(だと1200Kmケツモツカ?)
けどこれしか方法なかった、しかし(やっぱり)安易に考えちゃってるとこもあって
 400Kmを20時間⇒4時間寝る×3=72時間でゴール!したいな!できれば・・、やっぱムリやろな。
結論から言うとまったく無理でした、夢のまた夢雲の上。(あほでした~)

さて、最初のコントロール(チェックポイントのこと)はビレイン・ラ・ジェル(222Km)を目指します。
ダンゴ虫さんとはぐれた後はスタート直後でもあってちらほらと日本人に出会いました、やがてコースは街の中をくねくねと進みます。小さなロータリーでダンゴ虫さん発見「こけた~」らしく合流、さらにS見さんとも初顔合わせになりました。時々現れる石畳バイブレーション攻撃に早くも被害者が、なんとトピークのでかいサドルバッグが転がってました。多国籍「バ~ッグッ!!」コールがおこりましたがUターンしてくるライダーおらず「お気の毒様」です、振り向けば空っぽってショックやな~。
やがて人だかりが、あの有名なカフェ?が在りました。無料でボトルに水を配ってました!日本みたいに安くなかろうに・・、有り難いこってす。

やがて町の広場で人の列発見!なんだか知らんが並んでみる、「これがコントロールポイント?」だと思ってたらタダのサンドイッチ屋の列でT谷さんとパスした。並んでいた日本人は(6~7人)みなそう思ってたみたいでした。
思わぬタイムロスで先を急ぐと直ぐに「コントロール」の看板、これは140Km地点のモルターニュ・オ・ペルシェ(チェックはない)だと判ったが皆がSTOPするので「本当にチェック無いの~?」と半信半疑、そこにベテランY口さんが現れたので確認後(やっぱ無し)再スタート、これでT谷さんとはぐれて又一人旅になる。ビレイン・ラ・ジェルまであと82Km、雨は振ったりやんだりで けど以外に寒くなかった。

雨のせいでカッパを着たり脱いだり、絶対にお尻のパッドを濡らしたくないのです(ふやけて擦れるから)。脱げばTeam Japanのジャージです、「コンニチワ~」とフランス人の女の子が話しかけてきてくれました(深夜なんですけど・・)。この子が知ってるほかの日本語は「ベンジョー」(なんでやねん!)
ようよう明るくなった頃にビレイン・ラ・ジェルに到着しました、フランスは夜が明けるのが遅い8:00ぐらいにやっと明るくなります。コントロールでは磁気カードを通してベルベカードにサインしてもらいます、ゴールまであと13回やっかいになるんです。
ここでちょっと体がおかしい事に気づきました、真っ直ぐ立ってられないようなめまいがするような??これがハンガーノックか??考えてみりゃスタート前のディナーからたいしたもん食べてないもんな~。あれから200Km超だから当たり前か!カフェもレストランも混雑してたので少し戻ってパン屋さんに入ってみました。

フランスパンのサンドイッチは固くて時間がかかるのでクロワッサン4個購入&水の補給です。
大体町は中心に教会、その周りにパン屋、バー、カフェ、レストラン、スーパーマーケット、薬局などが在ります。

フジュール(310Km)に向けて出発、日本人を段々見かけなくなってきました。自分と足の合う人が見つからず淡々と一人です。明るくなって分かった事なんですが一面牧場でした、このなかを1200Km走ることになります、酪農大国フランス!それと道路にナメクジ(日本の3倍くらい)がうようよ横断してます、当然横断しきれる猛者は一匹もおらず集団自殺状態で嫌いな人には我慢ならんこってすな。<余談>ナメクジはいわばホームレスで夢の一戸建てを手に入れるとエスカルゴとして食べられる運命ですフランス怖し!(走りながら考えた) 途中で眠気の我慢が無理になりバス停?のような所へピットイン。「こんな所で寝て地元の人に迷惑かな?」と思うと寝られず結局タダのタイムロスになる。もうろうとしながらなので殆んど覚えてないんですが88Kmの距離を5時間ほどかかって到着(遅い!) タイムアウトまでは4時間の余裕があったのでここでしっかりと食事を取りました、この時既に会長がレストランにいたような見たような・・・。日本じゃタイムアウトなんて気にしたことがなかったのになんてこったい!!これがPBPの怖さだね~。 タンテニアック(364.5Km)までは55Kmなのにコレマタ4時間もかかりました、まったくもって眠くてこれは国内じゃ経験したことなくて多分時差ぼけもあるんでしょうか?遅いんで距離を稼げなくてひたすら遠く感じました。当然記憶もないので書くねたなし! いよいよルディアックです、5~6人の集団にまぎれてましたが自分ひとりふらふらと居眠りしながらだったような、ルディアックの町に入ってからカーブを大回りして(寝てて)歩道の段差にタイヤが引っかかり転倒!とうとうやってしまいました、イギリス人に手伝ってもらって復帰(このイギリス人とはこの後たびたび会い最後に完走を左右するキーマンになるとはここでは分からない)するとすぐにコントロールがありました。 沢山の人が拍手で迎えてくれその中に日本人の方が待っててくれました。「ごくろうさん!」「ドロップバッグのバスはあっち!」とか深夜にもかかわらずお世話してもらって有り難うございました。 時はすでに22日で0:03分のチェックタイムです、タイムアウトにあと4時間30分。 あさはかに「18:30に着いて4時間寝る」のは誰の事やったんや~!! ・・3日目に続く・・


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